2009-11-23
Diary 2009年11月23日 月曜日 [充実/晴れ]
PLAN G05-60
大田原マラソンに参加させていただいた。マラソンの関係スタッフの方々、市民のみなさん、大変お世話になり、ありがとうございました。
今シーズン、最初の大会の結果は、ずばり!リタイヤ!30kmまでは頑張れたのだが、すっきり!リタイヤを決めた。
穏やかな最高の晴れの天気。マラソン大会は、こうであってほしいと願うばかりだ。雨は、どんないい大会でも最悪だもの。
フル・マラソンは、昨シーズンのかすみがうらマラソンの4時間十数分。35kmまで調子がよかったのに、背中にブチッと痛みが走ったのを期に走れなくなり、サブ4の夢が消えた。今回の大田原マラソンに完走できるということは、3回目のフル・マラソンの大会で、自己ベストを更新し、サブ4という未知の領域に達するということだ。夢がふくらむ。
大会出場3シーズン目の今シーズンは、フル・マラソンに4大会、ハーフ・マラソンに2大会エントリーをする予定だ。その第1戦が、大田原マラソンであった。いいスタートを切りたい。
大会会場には早くに着いた。上河内SAに車中泊をしたからで、余裕があった。中学校の校庭が駐車場であるが、ベストポジションだ。ゆっくり準備に取りかかる。
制限時間が4時間の大会に集まるランナーは違う。みんながみんな、しっかりした体つきでスリムだ。走り込んでいることが実感できる。メタポおやじや太めの女の子はいない。今まで出場した大会とはひと味違う空気が感じられる。
今回はスピードを上げないように気をつけた。それでも、愛用するPolarのランニング・コンピュータは、5:30min/kmを切るペースを示していた。5:00min/kmは越えてはならないと、どんなに周りから抜かれようとも我慢をすることにしたのだ。5kmで5:20min/km、10kmで5:10min/km、15kmで5:16min/km、20kmで5:23min/km、25kmで5:25min/km、30kmで5:35min/km。自分でも、上出来のペースであった。(実はこれが違うことが後から判明する。ランニング・コンピュータの設定がずれていたのだ。(涙))
走り始めてすぐに、カラダにトラブルが発生する。心配していた鎖骨周りでも、右肩でもない。
左足の足底だ。ちょうど母指球につながる筋肉で短母趾屈筋というらしい。フィットネス・ジムのトレッド・ミルで痛めたものだ。足が地面を一生懸命蹴っているようだ。できるだけ着地をフラットにし足全体で蹴るようにしたら、痛みも治まり始めた。
もう一カ所。左膝の内側だ。2,3日前、車の荷物を片付ける際、ふとしたきっかけで痛み出したところだ。屈伸をして下げたときに痛みが走る。足の着地の角度を調整して痛みが消えるのを待った。
15km地点には関門がある。宇田川小学校のところだ。スタッフの方があと5分しかないと大きな声を出しながら後方へ走り去った。この関門はスタートをしてから1時間30分以内に通過しないと競技はここで打ち切り、そして、収容されてしまうのだ。
僕より5分後までのランナーは大丈夫だろう。しかしそれ以後は、ここで、いなくなる。どれぐらい自分の後に人がいるのか怖くて確認できなかった。しばらくしてすれ違った大型バスが目に焼き付いている。
15kmから20kmまではラップタイムが下がったはずだ。疲れが全身にやってきたのだ。この間は、緩い登りなのだ。これではいかんということで、フォームを見直した。いやがる足を強引に持ち上げ、カラダに活を入れた。
20kmから25kmまでは緩い下りだ。ペースを元に戻すことができた。
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